親友・中居正広も知らなかった出川哲朗の人生とは『キンスマSP』10・4放送

バラエティ
2019年10月02日
『中居正広のキンスマスペシャル』
©TBS

 10月4日(金)放送の『中居正広のキンスマスペシャル』(TBS系)に、出川哲朗が登場する。

 出川が登場するのは「金スマレジェンド波乱万丈!」。ダウンタウン、ウッチャンナンチャンと同世代で芸歴は35年。2018年タレントCM起用社数ランキングでは14社で1位を獲得している。

 そんな彼はどんな人生を歩み、どのようにして日本一の人気者になったのか。自分のことはあまり多く語らず、実はちゃんと知らない男、出川哲朗の波乱万丈な人生が明らかに。さらに芸能界でも古くから交流のあるMC・中居正広との知られざるエピソードも披露する。

 出川の実家は、明治27年創業、従業員30人を抱える老舗海苔問屋「蔦金商店」。当時は、お歳暮やお中元といえば「海苔」を贈るのが一般的。出川家は超がつくほどのお金持ちで、出川は“お坊ちゃん”だった。幼稚園には超高級外車で送迎。家にはお手伝いさんが5人もいて、そのうちの1人は出川専属だったという。さらに驚くべきは、出川家は商売によるお金持ちというだけではなく、家系図をたどると多方面で活躍した偉人や著名人がたくさんいた。

 そんな名家で育った出川だが、小学校時代は現在のキャラからは全く想像できない子供だったという当時の出川について、出川の兄が語る。しかし、そんな出川よりも、ずっと破天荒な人物が父・誠一郎だった。

 また、高校時代は、軟式野球部に所属。厳しかったと語るその野球部こそが、のちに芸能界で成功するための能力が培われる場所となった。まず、培われたのは“上下関係”。野球部の上級生が登校するたびに大きな声であいさつし、上級生の制服のアイロンがけや時間割を見て授業の準備などもしていたという。そこで染みついた“上下関係”は、礼儀を重んじる芸能界で出川の武器のひとつになった。

 ほかにも、出川の人気を確立させた“リアクション芸”は、野球部の練習後に始まったという。それは当時、大流行していたインベーダーゲーム。なんと軟式野球部では卓上ではなく、自身がキャラクターになって対決するリアルなゲームとして行われていたのだ。出川はこのインベーダーゲームで大活躍。出川の真骨頂“リアクション”はこのゲームによって培われたのだった。

 負けず嫌いなうえ、好きなことを見つければ一生懸命。学生時代に培われた能力が、多くの人から愛される現在のキャラクターにつながっていた。そして、全く興味のなかった芸能界へ入るきっかけとなる大事件が起きる。

『中居正広のキンスマスペシャル』
©TBS

 出川が芸能界に進むことになった3つの大きなターニングポイントの1つ目は、高校卒業を間近に控えた18歳の時、父・誠一郎が小豆の先物取引やクラブ経営に失敗。億を超える莫大な借金を背負ってしまったこと。あれだけ繁盛していた「蔦金商店」は倒産寸前に。そこで出川は高校卒業後、進学を辞め、自ら働きに出る。

 2つ目は「尼寺修行」。全く自由がない厳しい修行の毎日。その過酷な日々が、初公開となる37年前の出川本人の日記から明らかになる。

 そして3つ目のターニングポイントは、ロック界の大スター・矢沢永吉だという。矢沢の著書「成りあがり」は、広島で生まれた矢沢永吉がスターに駆け上がるまでの半生がつづられている。そこに書かれていた一節が、出川が芸能界を目指す原点だという。

 役者を目指し入学した「横浜放送映画専門学院」(現・日本映画大学)。そこで出川の運命を変える盟友との出会いが待っていた。今回の取材では、出川との再会が十数年ぶりとなる元相方が登場し、コンビ時代のネタ音源も入手。コンビ時代のネタをテレビ初公開する。

 出川は自身で劇団を立ち上げるもうまくいかず、日本を代表する劇団の一つ「青年座」のオーディションを受けるが、卒業式の直前、それにも落選。組んでいたコンビも解散。全てが白紙になり、実家は借金まみれ。そんな出川が卒業式で語った、今でも学校で語り継がれている伝説のスピーチがあるという。

 専門学校卒業後、本格的に役者の道を目指し始めた出川。その結果、脇役として映画に出演し、山田洋次監督の映画「男はつらいよ」にも5作連続で出演。しかし、役者としてはまだまだ先が見えない日々が続いた。

 その一方で出川が座長となり、ウッチャンナンチャンの二人を含む同期7人で「劇団SHA・LA・LA」を結成。都内の小劇場を中心に活動し、演出・脚本は内村光良が担当するなど念願の一座を始動する。

 座長として出川が劇団を引っ張っていく中で、役者人生に転機が起きる。きっかけはウッチャンナンチャンだった。一気にブレークしたウンナンが冠番組を持つようになると、劇団も一躍脚光を浴び、出川もたびたびバラエティ番組を中心にテレビに出始める。そんな中、あくまでも役者志望だった出川に心境の変化が生まれてくる。大きな影響を与えたのが、「ダチョウ倶楽部」の存在だった。

 その後、伝説のバラエティ番組『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!』に出演。名だたる先輩芸人を抑えて若手の出川が出場2回目で初優勝。世間に大きなインパクトを残し、出川哲朗が広く世に知られた。これをきっかけに、出川は数々の人気番組に呼ばれるようになり、一人の芸人として歩み出した。

 ちょうどこの頃、出川は中居正広とも出会う。スタジオでは、今だからこそ語れる、中野のスナックでの話や、野球観戦での中居の意外な一面など、マル秘エピソードを披露する。

 一方で、一人の芸人として人気を確立した出川にとって最もつらかったことが起こる。それは、自分が酷い目にあっている番組を見て、「もう耐えられないからテレビ局に電話します」と大好きな家族を悲しませてしまったこと。そして、そんなつらい時も出川を救い誰よりも応援してくれた、母・泰子さんとの別れが訪れる。

 伝説のスピーチから35年後。ゴールデンタイムで冠番組を持ち、CM起用社数ランキングで1位を獲得。ついに出川哲朗はポジティブな意味でも芸能界の頂点に立った。そんな彼が唯一の心残りを明かす。

『中居正広のキンスマスペシャル』
TBS系
10月4日(金)後8・57~10・54

©TBS