ミラクルガール・中西悠綺 「ヤンジャン」グランプリに中国映画主演、吉本興業所属ときて、次はどんなミラクルを起こす!?

特集・インタビュー
2021年10月30日

中西悠綺インタビュー

中国語が堪能で、武術やアクションもこなす女優の中西悠綺さん。幼いころから女優志望だったという中西さんは、これまでどのような道を歩んできたのか――。「週刊ヤングジャンプ」のコンテスト「ギャルコン2021」でグランプリを獲得、人生初の水着グラビアにも挑戦した“女優・中西悠綺”の素顔に、2回にわたって迫ります!

 

◆幼いころから女優に憧れていたそうですが、芸能界に入るきっかけは何だったんですか?

13歳の時にアイドルグループのオーディションを受けたのがきっかけでした。そのオーディションは当時通っていた養成所の先生が教えてくれたものだったんですが、女優を目指していたのになぜアイドルのオーディションに応募したかというと、そのアイドルグループを募集していたのが、女優さんが所属している事務所で、いつか女優デビューするきっかけになるかもしれないと思ったからなんです。そのアイドルグループはメジャーデビューもして、13歳から18歳までの5年間、センター兼メインボーカルを務めていました。

◆オーディションはいかがでしたか?

最初に書類審査があって、その後の審査はすべて東京で行われたので、そのたびに実家のある三重県から東京に行ってましたね。最後のほうは公開オーディションだったのでお客さんの前で自己紹介したり、歌を歌ったり。特技を披露する審査では何かしらのインパクトを残したいと思って、開脚しながら山手線の駅名を全部言うという、よく分からない特技を披露しました(笑)。

◆それはウケたんですか?

そんな変なことをする人はほかにいなかったので、皆さんの印象には残ったんじゃないかと思います(笑)。

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◆そのオーディションに見事合格したわけですが、中学生で仕事のたびに三重から東京に通うのは大変だったんじゃないですか?

学校を早退して東京に行って、アイドルのお仕事をしてから終電で三重に帰ってくる日々の繰り返しだったので、結構ハードでしたね。それでも温かい気持ちで応援してくださった皆さんのおかげで乗り切れたと思ってますし、その経験があったから今も頑張れているところはあると思います。

◆アイドル時代、周りの人たちの反応はどうだったんですか?

学校では、先輩や後輩もみんな応援してくれていました。私は何も言ってないのに、新しい曲がリリースされるたびに、お昼の校内放送で曲を流してくれて。「○年○組の中西悠綺さんが活動されている…」みたいなことも言ってくれて、すごくうれしかったです。先生方もすごく理解があって、応援してくれていました。

◆すてきな学校ですね。

三重県は温かい人ばかりで、めちゃめちゃいいところです!

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◆現在は女優として活動されていますが、今年開催された「週刊ヤングジャンプ」のコンテスト「ギャルコン2021」でグランプリを獲得。9月末に発売された号では水着グラビアを披露されました。

これまでグラビアのお仕事をしたことがなかったので、あれが人生初グラビアだったんです。もともとグラビアのお仕事は頭の中になかったんですが、ヤングジャンプさんが「ギャルコン」を7年ぶりに「ギャルコン2021」として開催すると知って、“挑戦してみようかな?”という気持ちが湧いてきて。審査は長期間にわたって行われたので、応援してくださる皆さんがいなかったらファイナルまで頑張れなかったと思います。ホントに、応援してくださった方にはいくら感謝してもしきません!

◆グランプリ決定の知らせは、どこで聞いたんですか?

結果は公式サイトで発表される形だったんですが、いつ発表されるかは分かってなくて。ファイナルの審査が終わってから1日に何回もチェックしてました(笑)。でも、パソコンの調子が悪くてサイトを見られなかった日があって、そしたら友達から「ゆうちゃん、おめでとう!」というラインがきて、一瞬“何のこと!?”と思ったんですけど、それで結果を知ったんです。

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◆人生初のグラビア撮影はいかがでしたか?

それまでプライベートでもビキニを着たことがなかったので、まずはビキニを着ることにすごく緊張しちゃって(笑)。でも、撮影場所が外国みたいなスタジオで、プールもあったので、“これぞ夏!”という感じで楽しく撮影できました。

◆いざ本番となるとスイッチが入るタイプなんですかね。

それは昔から言われてました。小学生の時に、あるコンテストのモデル部門で準グランプリを頂いたことがあるんですが、そのころから写真を撮られるのは好きで。そのコンテストの時も、実は風邪をひいて高熱を出していて、本番前は「もう無理…」という感じだったのに、本番でカメラの前に立ったらすごい決め決めのポーズを取っていて。見ていた親がビックリしてました(笑)。

◆自分のグラビアを見た時の感想は?

水着姿を撮ってもらうのは初めてだったので、めちゃくちゃ恥ずかしかったです(笑)。でも、ヤングジャンプさんの誌面に今の自分を残していただけるのはすごく大きいことですし、貴重な経験をさせてもらったなと思います。

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◆話は戻りますが、18歳でアイドルグループを卒業したあと、台湾に留学されたそうですね?

はい。アイドルグループを卒業してしばらくは個人事務所という形で頑張っていたんですが、アジアで活躍できる女優を目指していたので、まずは中国語を話せるようになりたいと思って。台湾に行って語学学校に通い、3か月ほどで日常会話を話せるようになりました。

◆初めての海外生活はいかがでしたか?

海外で一人暮らしをするのが初めてだったので、やっぱり寂しかったです。でも思い返すと、台湾での生活は楽しかった記憶があります。中国語をマスターしたい気持ちがすごく強かったので、毎日少しずつ単語を覚えたり、徐々に話せるようになっていく自分がうれしくて。ホントに中国語のことばかり考えていて、少しずつ成長していく過程が楽しかったですね。

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◆その後、北京や香港でもいろいろ学ばれたそうですね。

台湾で3か月くらい語学の勉強をして、そのあとは香港で武術アクションを学び、そこから北京の演劇大学に通って、そのあともう一回香港でアクションの勉強をしました。

◆中国で主演した映画が今年公開予定だそうですが、どういう経緯で中国映画に主演することになったんですか?

北京で中国映画を観ていた時、エンドロールに製作会社の名前が載っているのに気づいて。その会社名を書き出して一覧表を作って、自分で作ったプロフィールを持って1つひとつ1人で回ったんです。でも、中国映画の主演が決まったのは、それとはまた別のルートでミラクルが起きたのがきっかけで…。

◆どんなミラクルが?

母が、芸能とは関係のない仕事で中国に行った際、お世話になっていた通訳さんに「娘が中国で女優を目指している」という話をしたら、「じゃあ、娘さんのプロフィールを送ってください」とおっしゃってくれて。それでプロフィールを送ったら、その方は芸能関係のお仕事をされていたわけじゃないんですけど、いろんな製作会社に送ってくださったみたいで。それが主演の日本人女優を探している監督さんとプロデューサーさんの目に留まって、オーディションを受けさせてもらうことになったんです。

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◆日本に帰ってきたのは、いつごろだったんですか?

日本に帰ってきたのは、中国映画が決まる前だったので、2〜3年前ですね。吉本興業に所属することになったのは今年に入ってからです。それもちょっとしたミラクルがきっかけだったんですが、知り合いの方に母と私がお誘いいただいた場に、たまたま吉本の関係者の方がいらっしゃって。そこでごあいさつがてら少しお話させていただけたので、「今度、中国映画で主演するんです」ということを言ったら、後日あらためてお会いする時間を作ってくださったんです。いろいろな話をさせていただいた後に「うちにも女優部門があるので一緒にやりませんか?」と声を掛けてくださり、所属させていただくことになりました。

◆それは、確かにミラクルですね!(笑)

ホントにミラクル続きで、自分でもすごく幸運だなと思います(笑)。

◆これから、どんな女優を目指していこうと考えているんですか?

私は、いろんな人に笑顔や元気、愛を届けるのが自分の使命だと思っていて。もっとたくさんの方に幸せを届けられる存在になりたいですし、中国語が話せることだったり武術やアクションができることも自分の武器だと思っているので、そういう自分ならではの特技を生かして、日本でも海外でも、もっともっと活躍できる女優になりたいと思ってます!

PROFILE

中西悠綺インタビュー

中西悠綺
●なかにし・ゆうき…1997年2月25日生まれ。三重県出身。アイドルグループで活動後、台湾に留学。北京、香港で演劇やアクションを学び、2019年に中国映画「神奇旅行社」(2021年公開予定)の主演に抜擢される。2021年は出演した映画「ある家族」「僕が君の耳になる」が公開されたほか、7年ぶりに開催された「週刊ヤングジャンプ」主催のオーディション「ギャルコン2021」でグランプリを獲得。

 

photo/松下茜(エントランス) text/水上じろう hair&make/島田聖香 styling/杉浦優