『麒麟がくる』最終回!長谷川博己が見どころを語る

ドラマ
2021年02月07日

長谷川博己 コメント

『麒麟がくる』最終回
『麒麟がくる』最終回

大河ドラマで主演を演じたことは、かけがえのないとても貴重な経験となりました。最初は、一年以上という先の見えない長い道のりに対しての恐れからか、悲観することもありましたが、スタッフや共演者の皆さんの支えもあり、無事に撮影を終えることができました。 明智光秀を生きたこの約18か月という期間は、一生の宝物になりました。

新型コロナウィルスの影響で撮影が一時中断したことは、光秀を演じる上で、もしかするとひとつの転換点になったのかもしれません。

私はドラマは、視聴者の皆さんにどこかでその作品の『現代性』を感じていただきたいと思っています。撮影現場での緊張感や、張り詰めた空気が、役にも作品にも結果的にいろいろな意味での影響を及ぼしたのではないかと思います。

明智光秀は、孔子の言う『義』の人であったと思います。それは光秀を演じる上で、最後まで一貫して崩してはならないと思っておりました。世のため、民のため、平らかな世を目指し貫き通した男だと思います。

また、今作での信長(染谷将太)は、承認欲求への激しさや両親や兄弟との確執など、どこか人間臭さがあります。人間の持つ負の要素に共感しやすいと思えました。そういう意味でも、どこか現代人に通じるものがありましたし、視聴者の皆さんが投影しやすいところがあったのではないかと思います。

今回、『麒麟がくる』に出演されているほとんどの役者さんたちとご一緒することができました。どれも貴重な体験で、実に多種多様な組み立て方、演じ方があるなと、多くのものを吸収させていただきました。いわば明智光秀は、さまざまなキャラクターから刺激を受けて作られていった集合体だったと言っても過言ではありません。

最終回では皆さんが期待してくださっている「本能寺の変」が描かれます。この作品の中で新しい明智光秀を描いてきましたが、「本能寺の変」に関してもこれまでにない新しいものになるのではないでしょうか。なぜ、光秀は「本能寺の変」に至ったのか。見てくださる皆様に、その心の機微を感じ取っていただけたらうれしいです。

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