落語家・笑福亭仁鶴さん死去「どんなんかな~」「四角い仁鶴がまぁーるくおさめまっせ~」の名ぜりふ

エンタメ総合
2021年08月20日
笑福亭仁鶴さん(2016年8月、なんばグランド花月にて撮影)
笑福亭仁鶴さん(2016年8月、なんばグランド花月にて撮影)

落語家の笑福亭仁鶴さんが8月17日(火)、骨髄異形成症候群のため、大阪府内の自宅で逝去していたことが分かった。満84歳だった。

笑福亭仁鶴さんは、大阪市生野区出身。1962年、6代目笑福亭松鶴に弟子入りし、翌年、3代目林家染丸師匠からの紹介で吉本興業に所属。劇場で高座に上がりながら、テレビ、ラジオ、ドラマ、映画、舞台など各方面で多彩な才能を発揮した。

深夜ラジオ番組『オーサカ・オールナイト夜明けまでご一緒に』(ラジオ大阪) 、『ABC ヤングリクエスト』(朝日放送ラジオ)などでは、現代のラジオ番組の原型を作り上げ、ラジオ番組内で「どんなんかな~」「うれしかるかる」などのギャグを連発し、当時の若者から絶大な人気を博した。

1967年4月、吉本新喜劇女優で「たかこ姫」 の愛称で親しまれた永隆子さんと結婚。その後の活躍はさらに目覚ましく、1969年スタートの『ヤングおー!おー!』(毎日放送)では初代司会者に抜擢されるなど、その人気ぶりから「視聴率を5%上げる男」と評された。

同年、ラジオ番組の企画で自ら作詞を手掛け、ビル掃除で働き懸命に子供を育てる母親にエールを送る楽曲「おばちゃんのブルース」は多くの人に愛され、大ヒットした。

1985年に始まり、「四角い仁鶴がまぁーるくおさめまっせ~」の名ぜりふで有名な法律バラエティ番組『バラエティー生活笑百科』(NHK大阪)では、30年以上司会を務め、長きにわたり、お茶の間に親しまれた。

70歳を超えてからも精力的に落語の独演会を開催し、晩年になんばグランド花月で披露した「不動坊」は後輩たちが継承する上方落語の代表作となった。

なお、既に近親者、関係者で葬儀が執り行われ、お別れ会は現在のところ予定されていない。