菊池風磨、中間淳太、松村北斗、阿部亮平が今伝えたい“平和”への思いとは…『僕たちは戦争を知らない』

エンタメ総合
2022年08月13日
『僕たちは戦争を知らない〜1945年を生きた子どもたち~』©テレビ朝日

菊池風磨(Sexy Zone)、中間淳太(ジャニーズWEST)、松村北斗(SixTONES)、阿部亮平(Snow Man)が出演するドキュメンタリー『僕たちは戦争を知らない〜1945年を生きた子どもたち〜』(テレビ朝日系 午後1時55分〜3時20分 ※一部地域を除く)が、8月14日(日)に放送。それに先駆け、4名からコメントが到着した。

平和への思いを強く抱き、自らが演出するステージで幾度となく戦争の悲惨さを描いた故・ジャニー喜多川さん。この『僕たちは戦争を知らない〜1945年を生きた子どもたち〜』では、そんなジャニーさんの信念を受け継ぐジャニーズ事務所所属の4人が、戦争を体験した人々の声に直接、耳を傾けていく。

菊池は、14歳で海軍に志願し、戦場へと赴いた“海軍特別年少兵”の悔恨を聞くほか、7歳で戦争孤児となり、4歳の弟を抱えて地下道で飢えと闘いながら生き抜いた女性と対面。中間は沖縄に向かい、女子学徒隊の従軍看護助手として働いた女性と会い、実際に野戦病院として使われていた壕を訪れる。

また、松村は長崎・原爆投下からわずか1か月半ほどで再開した小学校の物語を取材。阿部はジャニーさんも疎開していた和歌山へ出向き、大空襲の記憶をたどっていく。当時の子どもたちから、「77年前に起きたこと」を聞いた4人。はたして、彼らが感じたこととは…。

菊池が話を聞いたのは、14歳で“海軍特別年少兵”に志願し、小さな魚雷艇で巨大なアメリカ艦隊に向けて出撃する、という危険な任務についていた鈴木忠典さん(現在93歳)。当時はただ敵への憎しみだけが心を占め、死への恐怖はもちろん人格すらも失っていたと打ち明ける。

同船仲間が死の淵をさまよっても優しい言葉ひとつかけることをしなかった、と悔いる忠典さんの姿を目の当たりにした菊池は「人の心を失くしてしまう戦争の悲惨さが、鈴木さんのお話からひしひしと伝わってきました」と、胸を衝かれたよう。

菊池はまた、7歳のとき東京大空襲で母を失い、4歳の弟とともに戦争孤児となった鈴木賀子さん(現在84歳)とも対面。親戚をたらいまわしになった2人がたどり着いた先は、上野駅の地下道だったという。誰ひとり手を差し伸べてくれない中、弟のため食べるものを求めてさまよったという賀子さんの過酷な戦後に、菊池は言葉を失う。

「今回、お2人にお話をお伺いし、戦争は歴史上のことではない、教科書の中のことではない、今もどこかで被害を受けている人、被害を与えてしまっている人がいるのだと、とても生々しく感じました。だからこそ、まずは知ることをしなくてはならないのだと思います」と、取材を機に心に刻んだ思いを明かした。

国内唯一の地上戦の地となった沖縄を訪れ、16歳で学徒隊として従軍看護助手となった武村豊さん(現在93歳)の話を聞いたのは、中間。当時、沖縄各地では壕とよばれる洞窟を野戦病院として使っていたが、豊さんたちはそこに次々と担ぎ込まれてくる負傷兵たちの世話に当たったという。

その後、アメリカ軍による攻撃は熾烈を極め、壕も標的となり、野戦病院は閉鎖され、学徒隊も解散。戦火の中、自力で逃げるよう指示された豊さんが感じた自身の変化とは。

野戦病院の跡地を訪ねた中間は、病院という名からはほど遠い、暗くて狭い空間にがく然。当時の悲惨な状況を思い浮かべて涙を流し、「戦争は本当にいろいろな意味で人を殺すもので、人の心さえも奪ってしまうものだということ…。それは今回、お話を聞いてとても感じた部分でした。僕らは戦争を経験していないけど、今後も忘れることなく学び続けることが、世界のためになると改めて思いました」と語った。

そして「取材中に言葉にし切れなかった瞬間もたくさんあって、言葉にできなかったときの感情や思いは忘れません、絶対に…」と話すのは、長崎で原爆の語り部を勤めている池田松義さん(84歳)のもとを訪ねた松村。

1945年当時、7歳だったという池田さん。爆心地から700メートルほどの地点で被爆し、自身は奇跡的に助かったものの、家族全員を失った。そんな池田さんの安らぎの場となったのが、残った教師たちがわずか1か月半ほどで再開した小学校。原爆で約1500人の生徒のうち1400人あまりが亡くなったが、生き残った20名ほどの児童を、教師たちは毎日温かく迎えてくれたと振り返る。

池田さんの体験談を聞いた松村は、「僕の生まれるちょうど50年前。同じ国で実際に起きていたことなのに、これまではどこか現実離れしたものとして受け取っていました。実際に77年間生きてきた方々の心の内側だったり、人生、人の思いをもっともっと知るべきだと思いました」と、平和への思いを新たにした。

いっぽう、阿部は和歌山に赴き、9歳で空襲に遭遇した田中誠三さん(現在86歳)の悲しい記憶を聞く。1945年6月22日、空襲で田中さんの自宅に爆弾が直撃し、母と2人の姉が即死。その後、7月9日の和歌山大空襲では、市街地一帯を円で囲むように焼夷弾が落下。避難場所となっていた旧県庁跡地の空き地では凄まじい火災旋風が起き、逃げ場を失った700人以上の人が折り重なるように焼死した。

田中さんからつらい記憶を聞いた阿部は、「子どもの頃に体験したものは、かなり深く胸に刻まれると思いました。やっぱり、そういうのを僕たちは絶対に受け取らなくちゃダメだと思うんですよ。特に、ウクライナの問題が毎日のようにニュースとして流れてくるこの時期だからこそ、もう一度“戦争とは何なのだろう?”と、見直す大きなきっかけになるのではないかなと思います」と力強く呼びかけた。

4名が放送に当たって寄せたコメント全文は、次ページに掲載。

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