宝田明&加藤登紀子が満州での体験談を語る『武田鉄矢の昭和は輝いていた』8・9放送

エンタメ総合
2019年07月31日
『武田鉄矢の昭和は輝いていた』

 『武田鉄矢の昭和は輝いていた 満州からの帰還者たちの想い~戦後復興の立役者~2時間スペシャル』(BSテレ東)が8月9日(金)後7・00から放送される。

 今回は、戦後、日本への帰還後にさまざまな分野で日本文化の発展に貢献してきた人々にスポットを当て、ゲストには実際の帰還者である俳優・宝田明、歌手・加藤登紀子を迎える。

 当時の貴重な映像とともに語られる、過酷な体験談の数々。終戦までおよそ10年間を満州で過ごしたという宝田は、敗戦をきっかけに裕福な生活から一転、悲惨な強制労働、さらに生死をさまよう壮絶な出来事が起きる。そして、帰還直後の忘れられない思い出、帰る途中に立ち寄った大阪でもらった柿の味、生き別れた兄との奇跡の再開秘話を語る。加藤は満州から持ち帰った、たった1つのものを紹介する。

 さらに、帰還者たちが紡ぐ名曲の数々のほか、元南満州鉄道社員の東海林太郎が歌に込めた思いと、壮絶な帰還体験から誕生した作詞家・なかにし礼の名曲「恋のハレルヤ」「人形の家」誕生秘話も紹介する。

<宝田明 コメント>
昔を振り返っての思い出はものすごくあります。どの場面をとっても自分にとっては忘れられないひとコマひとコマなんですが、例えば小学校3年生の時の小学校唱歌で、満州では流行ってたんですが、いまだに忘れることはできません。戦争後の外地における人たちみんなの苦しみ、引き揚げてくるまでの苦しみ…それぞれが大変な思いをして帰ってらっしゃる。その中でも心の中にはやっぱり歌を持って、くじけそうになりながら、自分を奮い立たせながら、野を超え山超え歯を食いしばって生きてきた少年時代というのは、忘れることはできません。戦前の明治時代にできた日本の古い歌、いよいよ大正・昭和となって日本が戦争の道へ進むときの日本の流行歌…特に軍歌というものに影響を受けている僕たちですから、今でも口について出るのは、あの当時の歌なんです。軍歌というのは戦意高揚のために作られた歌ですけども、服部良一さんや山田耕筰さんなど、今でも口をついて出てくるいいメロディーといい言葉があるんだよね。僕らはそこを捨てがたいなと思います。

<加藤登紀子 コメント>
宝田明さんの経験はものすごくひとつずつがびっくりするような(笑)またそれが一つの映画のシーンを見るように鮮やかに表現されていました。私自身は、私の母の思い出話がほとんどで、リアルな記憶がないので、今日は大変刺激的でいろんなことがわかってよかったなと思います。いま世界のニュースはお茶の間で見られるので、世界中で起こっていることを目にすることができる時代ですが、それは全部絵空事ではなくて、遠い歴史の中で見ているようなことでも、実際にそこで生まれ育ち、ご飯を食べたり泣いたり、生き抜こうとして頑張る人がそこにいて…。この番組を見ていただいて、そんな想像を巡らせるヒントにしていただけたらと思います。

<橋本かおりプロデューサー コメント>
戦後旧満州から引き揚げてきた人々は過酷な経験をされたにもかかわらず、大地のように広い心と明るくさえ感じられるほどバイタリティにあふれている…その本質はどこか?
帰還者の宝田明さんと加藤登紀子さんのお話を伺い、少し寄り添える気がしました。司会の武田鉄矢さんがいみじくも、同じく引き揚げの経験を持つ山田洋次監督の作風が、日本の外からザ・日本の郷愁を描いているといっています。当時の流行歌と世相と証言者トークを交えて、日本をしみじみ感じていただける2時間となりました。

『武田鉄矢の昭和は輝いていた 満州からの帰還者たちの想い~戦後復興の立役者~2時間スペシャル』
BSテレ東
8月9日(金)後7・00~8・54

司会:武田鉄矢、須黒清華(テレビ東京アナウンサー)
ゲスト:宝田明、加藤登紀子

©BSテレ東